母は、わたしが3才~5才の頃は、ビーズのバックお人形さんの着物を作る内職をしていました。細かくてキラキラしてきれいなビーズでした。昭和の時代にビーズのバックは大流行しました。

母が作った赤と黄色の格子柄の着物のおかっぱのお人形が亀宗というデパートに飾ってあって見に行きました。

自分が母になり育児を経験すると、幼いわたしと赤ちゃんの弟を育てながら便利な家電製品もなく大変だったと思います。

小学生低学年の頃は、モーターの部品の内職をしていました。ハンダ付けだったのかな?セメダインのような匂いがしたから。

昭和40年代のあの頃、高度経済成長の真っ只中。「この木なんの木 気になる木~♪」の企業城下町だったので、住んでいた社宅では工業製品の内職をしているお母さんが多かったです。その後、リウマチを患っていたのでお勤めに出ることはなく専業主婦でした。

母は雑誌「主婦の友」のお正月号の付録の家計簿を毎日つけていました。主婦の友のお正月号は、晴れ着のきれいな女優さんの表紙で普通の号よりも厚くて豪華だったのを覚えています。

母は、お給料日前になると家計のやりくりに魚肉ソーセージちくわ天ぷらを作ってくれました。揚げたてはとても美味しくて、母が揚げているそばから弟とつまみ食いをしていました(笑)

 

ある日の夕食前、お膳の上にちくわの天ぷらが大皿にいっぱい盛りつけられていました。家族でいただきますして食べようとしていたら…

お隣の柴犬のジョンちゃんが空いていた玄関から侵入。つかつかと廊下を歩いてきて、居間に入りお膳の上の大盛りのちくわの天ぷらをペロリと食べて帰っていったのです。一瞬の出来事でみんなでびっくり!

あっという間にちくわの天ぷらを全部平らげて満足そうなジョンちゃん。その日の夕食は卵かけご飯になりました(笑)ジョンちゃんの可愛さにみんなでいいよね~って…

父はもう亡くなってしまったけど、今でも母と弟とジョンちゃんのちくわ事件の話で大爆笑します。ジョンちゃんはちくわ事件の時、くさりを自分で外して来たのかな。でも脱走しないで良かった。

ジョンちゃんはとっても人なっこい可愛いワンちゃんでした。今ごろお空で父とちくわの天ぷらを食べていたらいいなあ。

ジョンちゃんは、昼間お隣の玄関の前につながれていました。ジョンちゃんに会うのが楽しみでワクワク帰宅したものです。しっぽをいっぱいふって立ち上がってワンワン!喜んでくれるジョンちゃん。すごく可愛かった。「ジョンちゃん、ありがとう。今もこれからもず~っとず~っと大好きだよ」

今日の夕食はちくわの天ぷらにしようかな~母にありがとうって感謝しながら…