テレ東の池上ワールド 池上彰の現代史を歩く あの大事件SP よど号ハイジャック事件を見ていたら橋本登美三郎さんの姿が映りました。
よど号ハイジャック事件で人質の身代わりを申し出て無事に北朝鮮から帰国した山村新治郎運輸政務次官を出迎える橋本登美三郎運輸大臣。
運輸大臣!橋本登美三郎さんって大臣だったんだ。トミちゃんが…
昔、トミちゃんこと橋本登美三郎さんは田舎の祖母の家にお茶飲みによく来ていました。
縁側に座ってお茶を飲みながらおしゃべりをしていました。母は「トミちゃんがおばあちゃんに会いにまた来てるよ」って笑って話していたそうです。
おばあちゃんは戦争で小田原から茨城に疎開してきました。街育ちでおしゃれな可愛らしい人でした。美人さんです。残念わたしはあまり似なかった(笑)
言葉使いもとてもきれいでした。鳥のトキが大好きでした。とき色(ピンク色)ってよく言ってました。おばあちゃんを思い出す霞、時雨、細雪などの和言葉が好きです。
橋本登美三郎さんは、潮来町長を務め昭和24年に衆議院議員に当選。昭和39年に発足した佐藤内閣では、内閣官房長官、建設大臣、運輸大臣、自民党総務会長を歴任されたそうです。
鹿島開発を推進。鹿島線や東関東自動車道の開通。鹿島・行方地域、茨城県のためにも数々の功績を残されました。
トミちゃんは、おばあちゃんが大好きで会いに来てたのではなく鹿島の発展のために地元の人の声を聴いていたのではと思います。お茶飲みもお仕事だったのではと…おばあちゃんはいろいろと相談にものってもらっていたそうです。トミちゃんありがとうございます。
橋本登美三郎さんは平成元年1月19日逝去(享年88才)。祖母は90才まで生きたからトミちゃんより少しだけ長生きしました。明治に生まれ戦前戦後の昭和を生きて平成を少しだけ見てお空に旅立ったトミちゃんとおばあちゃん。今ごろ、お空の縁側でお茶飲みしてるかな…
おばあちゃんは若いころ、疎開してからやったことがない畑仕事をして苦労したと聞いています。おじいちゃんは熱海の老舗旅館で板さんをしていたから戦争がなかったら毎日温泉に入ってまた違った暮らしがあったのではと思います。
現在、80代の母は持病のリウマチを患いながらも元気に暮らしています。母の口癖が「戦争がないだけでしあわせ」本当にそうだと思います。戦争は人生を狂わせる。不幸にする。令和もその後の時代も平和でありますようにと祈ります。